ボールを保持することが良いことで、ボールを放り込む(手放す)ことが悪いこと、と考える派閥がこの世に存在する。
ジョゼップ・グアルディオラ監督率いるFCバルセロナが強くて魅力的なサッカーをしていたことにより、一種の信仰や伝染病のように世界的に亜種が増えていたのは約10年前のこと。
しかし、今年開催されたロシアワールドカップの結果を考えれば、世界的な潮流はそこに無いと思うが、極東の島国では未だに↑のような考えを主張する人が多い。
特にボールを保持することにかけて一時代を築いたFCバルセロナやスペイン代表は、その界隈(ボールを保持することにかけて)では世界一だと思って間違いない。
ただし、そこに至るまでの過程は数年ではなく数十年の長い時間が必要で、ピッチに立つ11人全員のボールを扱う技術を高め、仲間同士の連携(イメージの共有)を絶え間ない練習で落とし込み、バックパスや消極的なパス回しを恐れない強い精神を鍛え、尚且つボールを保持することをサポーターやクラブ等が(結果が残せない時でも)全面的に後押しすることで初めて完成する伝統工芸のガラス細工のようなモノです。
つまり、ボールを保持することに特化するということは、チームを作るのも結果を残すのも大変だということです。
分かりやすく例えると、ジャンケンで「チョキ」は使わないと相手に宣言し、「グー」と「パー」だけで勝つような危険な橋を毎回渡るようなチーム作りをするということです。
ちょっと話が逸れますが、森保さんや鬼木さんが前任者の強烈な攻撃的サッカーに守備の決まりごとを浸透させてリーグ優勝に導いたことからも、「グー」「チョキ」「パー」の使い分けが大切だと解ってもらえると思う。
サッカーは、相手ゴールを奪うことで勝敗を決めるスポーツであり、その過程を競うスポーツではない。
「ゴールを奪う」という現実から目を背けた人ほど、「良いサッカー」を主張する傾向にある。
また、「悪いサッカー」と言われる放り込みについても、ダイナミックに局面を打開する興奮はとても魅力的だと思うのですが、日本人の体格ではちょっと魅力が伝わりにくいのかなと思ったりします。
まとまりのない文章になってしまいましたが、サッカーの面白さをボールを保持することと結び付けることは、サッカーというスポーツの価値を矮小化することに他ならないと私は考えます。